これを書いた時、既に漱石は日本に帰国していたから、自分の記憶を元に、回想しつつこれを書いたのだと思われ、そこには多分若干の脚色があっただろうと思われる。そのせいで結構嘘くさい事も書いてある。例えば、案内役の婆さんが「何年何月何日」という解説を勝手に繰り返しているとか、「そんな奴いないだろ」と言いたくなる。表現も気取っているし、言葉遣いも嫌に小難しい。漱石の初期作品は総じてそうであるが、こんな殆ど日記と変わらないものを文学的な表現で書くと、甚だ衒学趣味に見える。これが物語とか人物の思索とかと織り混ざることで軽妙な味を帯びてくるのだが、それはまだ先の事である。
しかし音に敏感だったカーライルが、静けさを求めて四階の部屋で仕事をするようになってからの以下の描写は秀逸だと思う。
なるほど
声。英国においてカーライルを苦しめたる声は
「呪いのごとく彼を追いかけて」とはまた大げさだが多分実際そんな気持ちだったのだろう。如何にカーライルが神経質で、気難しい人間だったかが伝わってくる。ショーペンハウアーなどは言うに及ばずだが。
ただただ思うのは、何度も繰り返す通り、夏目漱石は大器晩成型の作家であって、芥川龍之介や三島由紀夫のような若さバクハツ型の作家とは違う。筆をとったのも遅ければ名作に辿り着くまでも時間がかかる。このブログが面白くなるまでもまだかなりの時間がかかるだろう。御辛抱願いたい。