2013年2月3日日曜日

『カーライル博物館』

『カーライル博物館』は、やはり漱石のロンドン滞在記的な作品で、特に物語というような要素は見当たらず、私小説的な作品である。カーライルという歴史家の旧邸を訪れたときの話が、漱石のあの飄々とした筆致で語られている。カーライル旧邸は今はあるのかどうか分からないが、当時カーライル博物館(記念館)ということで一般に公開されており、同じチェルシーに下宿していた漱石は何度かこの家を訪れていたようである。

これを書いた時、既に漱石は日本に帰国していたから、自分の記憶を元に、回想しつつこれを書いたのだと思われ、そこには多分若干の脚色があっただろうと思われる。そのせいで結構嘘くさい事も書いてある。例えば、案内役の婆さんが「何年何月何日」という解説を勝手に繰り返しているとか、「そんな奴いないだろ」と言いたくなる。表現も気取っているし、言葉遣いも嫌に小難しい。漱石の初期作品は総じてそうであるが、こんな殆ど日記と変わらないものを文学的な表現で書くと、甚だ衒学趣味に見える。これが物語とか人物の思索とかと織り混ざることで軽妙な味を帯びてくるのだが、それはまだ先の事である。

しかし音に敏感だったカーライルが、静けさを求めて四階の部屋で仕事をするようになってからの以下の描写は秀逸だと思う。

なるほど洋琴ピアノもやみ、犬の声もやみ、鶏の声、鸚鵡の声も案のごとく聞えなくなったが下層にいるときは考だに及ばなかった寺の鐘、汽車のふえさては何とも知れず遠きよりきたる下界の声がのろいのごとく彼を追いかけて旧のごとくに彼の神経を苦しめた。
 声。英国においてカーライルを苦しめたる声は独逸ドイツにおいてショペンハウアを苦しめたる声である。ショペンハウア云う。「カントは活力論をあらわせり、余はかえって活力をとむらう文を草せんとす。物を打つ音、物をたたく音、物のころがる音は皆活力の濫用にして余はこれがために日々苦痛を受くればなり。音響を聞きて何らの感をも起さざる多数の人我説わがせつをきかば笑うべし。されど世に理窟りくつをも感ぜず思想をも感ぜず詩歌しいかをも感ぜず美術をも感ぜざるものあらば、そは正にこのやからなる事を忘るるなかれ。彼らの頭脳の組織は※(「けものへん+廣」、第4水準2-80-55)そこうにしてさとり鈍き事その源因たるは疑うべからず」カーライルとショペンハウアとは実は十九世紀の好一対こういっついである。


「呪いのごとく彼を追いかけて」とはまた大げさだが多分実際そんな気持ちだったのだろう。如何にカーライルが神経質で、気難しい人間だったかが伝わってくる。ショーペンハウアーなどは言うに及ばずだが。

ただただ思うのは、何度も繰り返す通り、夏目漱石は大器晩成型の作家であって、芥川龍之介や三島由紀夫のような若さバクハツ型の作家とは違う。筆をとったのも遅ければ名作に辿り着くまでも時間がかかる。このブログが面白くなるまでもまだかなりの時間がかかるだろう。御辛抱願いたい。


2013年1月25日金曜日

『倫敦塔』


『倫敦塔』、読み方は「ロンドンとう」である。私は最初、恥ずかしながら読めなかった。実際に中身を読んでみてようやく、ああロンドンか、となったのである。

漱石がイギリス留学中、強度の神経衰弱にかかったのは有名な話だが、『倫敦塔』が書かれたのが多分実際に日本に帰国してからの事であろうから、倫敦塔を見物しにいったときの事を思い出しつつ書いたのだろう。倫敦塔を見物したときの漱石の空想がありありと描かれている。幽閉された逆賊、斧を振りかざす首切り役人、断頭台の露と消える女、こういう妄想を繰り返して目の前にありありと描く当時の心理状態は、やはりよほどの抑鬱状態にあったと見られる。そしてまた描き出される妄想の全てが悲劇的で、悲惨なものばかりなのである。倫敦塔という場所自体が恐らくそういう陰鬱な所だというのもあるだろうが、やはりそうした場所に何となく足を運んでしまうというのは精神的に鬱屈している証拠だろう。最初の部分に少しだけ、ロンドンでの生活における気苦労について書かれているが、そういう環境で培われた精神状態をこの倫敦塔に映し出したものだともいえる。

この作品は最後の方で宿の主に現実に引き戻され、また漱石自身の言葉で今まで書いてきた事が創作であったことが明かされる。一気に夢から覚めるような感じなのである。だがそこに至るまでの夢の部分の描写は素晴らしい。詩的な美しい言葉とリズムの良い文体で惹き付けられてしまう。鬱屈した精神状態にこそ美しい言葉が生み出せるのだとすれば、美とは悲と紙一重の感覚なのかもしれない。

2013年1月23日水曜日

『吾輩は猫である』

漱石のデビュー作は、言うまでもなく『吾輩は猫である』だが、このときの漱石はまだ高浜虚子にすすめられて小説を書き始めたばかりの、駆け出しに過ぎなかった。当時はまだ漱石とも名乗っておらず、夏目金之助の名前で出している。

留学先のイギリスで神経衰弱に陥り、また帰国後に教え子、藤村操の入水自殺などもあって、この時期は漱石にとって精神的にかなり弱っている時期であった。それを和らげるために、気晴らしに書いたのが本作である。だから、別に文壇で名を馳せようとか、そんな野望もなければ、名作を書かなければならないという使命感もなかったであろうと思う。殆どお遊び程度のもので、内容も滑稽本的である。「何もしていないと鬱々としちゃうから、暇なときに書いてみました」という程度のものだったろう。

しかしそれでも文章のうまさ、語彙の豊富さや教養の深さはさすがというべきで、とても暇つぶしに書いたとは思えないほど知識教養であふれている。高浜虚子の手直しを受けて世に出した当初は一回きりの読み切りのつもりだったが、、これが好評で、結果的に連載となり、これだけの長さになったのである。

とはいえストーリーがきちんと構成されているわけでもなく、猫の目を借りた日記といった感じで、内容は単調で、はっきり言ってつまらない。また文学的な表現などもないので、そういう楽しみもない。それでこの長さであるから、読む方はうんざりである。これがあの世に有名な『吾輩は猫である』なのか?意外につまらんぞ?と言うことになりかねない本作ではあるが、よく読んでみれば漱石の虚無的な価値観や、飄々とした文体など、やはり片鱗を伺わせる所はある。

最後に、これを書いたのが漱石38歳の頃だったということも特筆すべきだろう。つまり38歳から49歳で死ぬまでの約10年間であれだけの功績を残したのである。漱石は大器晩成型、遅咲きの作家である。

2013年1月21日月曜日

はじめに


私は『芸術的生活を目指すブログ』というブログを書かせてもらっている。
そこでは文学に比重を置いた芸術一般のブログとして、私が出会った文学の中で印象深いと感じた作品について、作品毎の批評を書かせてもらっている。
これは私の趣味で始めたブログであるので、私の気の向くままその日書きたい作品について書きたい事を書いている。
これはこれで楽しく執筆させてもらってはいるのだが、しかしどうもそこから分けて論じた方が良い話題というのがどうしても存在する事に気が付いた。
夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫である。
この四人については日本文学史において別格であり、私の気の進むままに時系列も作品同士の繋がりも無視して書いていては、その作家の本質を探るにはいささか無理があると気が付いたのである。
そこで先の『芸術的生活を目指すブログ』がメインだとすると、そこから派生させた、言わばスピンオフ的な作家別のブログがあった方が良いと思われた。
この『夏目漱石研究』はその一つで、このブログでは夏目漱石の作品を発表された順番をきちんと踏みながら批評していこうという、そういうスタンスでできたブログだ。
夏目漱石の作品を有名作品から全集にしか載っていないような作品まで、より細かく取り扱っていきたいという主旨である。


なお、他の三人についても、同じようなスタンスでブログを開設することにしたので、以下のリンクも参照されたい。